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アンドロイド (第1話) story by kaname inoue

 証人1(同僚教師):彼は、あの日を境にまるっきり変わってしまったように思う。目はするどくなって、時に、赤く光っているようだった。そう、確かに、彼の入院は、長過ぎた。見舞いにいっても、具合が悪いといって、逢う事は出来なかったんだ。
 証人2(T駅の駅員):覚えいます。確かに、彼は不自然でした。酔っぱらっている様子はありませんでした。赤いライトが光っていました。ええ、彼はそれに見入ってました、数時間も、機械が壊れてしまったように、停止していたのです。
 証人3(看護婦):患者さんは、盲腸で入院されました。しかし、腹部の脂肪は、あまりにもあつく、メスで切っても、なかなか内臓には達しなかったとのことです。普通の3倍は切らなくてはならなかったようで、長さにすると、15センチ。
 証人4(生徒):先生のお腹は、エビス級。願いがかなうらしいよ。
 証人5(生徒T子):そう、私はあいつの秘密を知ってる。だから嫌われているんだ。

1,
 「お腹は減らないものなのです」
 W先生は、授業中に、突然そんな事を言いはじめた。
 そのとき、誰もが、彼の話を聞いていなかった。いや、もとから、誰も彼の話を聞く者はいなかったし、誰も彼の授業の内容などに耳を傾ける者もいなかった。そもそも「先生」と彼のことを呼ぶものもいなかったし、大体が、「W」と呼び捨てか、「シチフク」「ニセエビ」と呼んでいたし、いつも、授業中は、誰もが後ろや横を向き、コソコソと話をしていて、黒板の方向に向いているものすら少なかった。 しかしながら、先生は続けた。
「お腹は、すく、と言いますが、それは奇妙な言い方ではないでしょうか? 私達は、食事をとらなくとも、充分な栄養素を薬で補えば生きていけるものと思っています」
 彼は、太っていた。今までも、生徒たちは、彼が、3段にも区分けした、弁当箱を持ってきているのを知っていたし、それをバキュームで吸い込むごとく食することも知っていた。彼の言葉を聞く者はいなかったが、それを聞いたものは、より一層彼の言葉を無視しただろう。つまり、彼は肥満体だった。いや、普通の肥満ではない。腹は、破裂しそうなほど膨れ上がり、針を差し込むと、ピューと萎んでしまいそうな弾力があり、柔らかかった。
 その腹を見たものは、誰もがそれを触りたがった。彼の腹をなでると、受験に合格する、というウワサかあったからである。七福神の腹をもつ教師。彼は、生徒達の守神である。
 まんまるい腹をクルクルと撫で、その前で手をあわす。先生の目は、まんまるく、急に大きくなったり、時に、眠た気であり気が抜けた細い目になったりする。あまり笑うことはなかったが、その目尻は、七福神のそれと似ている、といっても過言ではない。彼は、突如、生徒達に腹を撫でられても、怒る事なく、そんな目つきで、ただ見守っていただけだという。
 W先生は、そういう意味で人気はあったものの、好かれていた、というのとはちょっと違う。
 彼は、滅多に喋らず、授業も、のんびりとしていて、何を言っているのか分からない。生徒達が、授業中にもかかわらず、喋っていても、彼は怒ることすらなかったのだ。
 そのため、その出っ張った丸いハラを突き出しながら、もごもごとした口調で、「お腹はすかない」と、突然言われても、全く真実味は感じられないし、話に引き付けるにしては、余りにも下らなすぎている。生徒達は、当然、無視していた。
「そこ、ちゃんと聞いているのか!」
 しかしながら、今の彼はいつもと違っていた。目は、一瞬だが、ギラリと赤く光ったようだった。そして、今まで聞いたことのない大声で、彼は、そう叫んだのだ。
 手からは、まるで手裏剣でも飛ばすように、クイと手首を器用にまげて、目に見えないような早さで、生徒のほうへ投げ付けた。
 それが命中したのは、T子だった。彼女は、後頭部と襟についた白い粉を振払いながら、ギロリと先生のほうを睨み付けた。
「こっちを向きなさい、先生が話しているだろ!」
 その彼の強気な態度には、教室の全員が驚いたた。未だかつて、彼のそんな強気な態度を一度もみたことがないからである。この教室のもの、というより、彼が教師を始めてから一度もそんな姿を目の当たりにしたものは、いないだろう…。
「どうして私だけなんです? 皆も喋ってたじゃない」
 T子は、先生に噛み付く口調で、そう言う。
 付け足しだが、彼は、黒いふちの眼鏡をかけていた、その眼鏡のせいで、彼の目玉はやたら大きく見えた。顔は、まんまるで、そのほっぺたも、綿でもつめているように丸く膨らんでいた。
 そのぎょろりとした大きな黒めが、彼女を凝視した。
「君を、注意するのは、もう2度目だからだよ」
 ゆっくりと強い口調で彼は言った。
 そう、確かに、過去に一度だけ彼女に注意したことはあった。しかし、それは、注意というには程遠く、か細い声で、「T子くん、これに答えられますか?」と、喋っていた彼女を黒板の方向へ振り向かせただけである。もちろん、彼女は、そんな過去のことを覚えてはいなかった。
 しかし、T子は、すました口調で、こう答えた。
「残念ながら、私は、先生の話を聞いていましたよ。人の子でも食ってそうな先生が、確か、食事はしないんだとか? あまりにもバカバカしかったので授業を放棄していたんですよ。最近、赤ちゃんが行方不明になる事件がありましたよね、あれは先生の仕業じゃないですか? その腹の中身はなんです? 子供でもはいっているんじゃないですか、へびのように飲み込むんですよ」
T子がしてやったりにニンマリと笑うと、今度は、彼のほうが無気味に笑い、その腹をゆっくりと撫でた。
 それは、あまりにも今までの彼の気弱な態度からは想像も着かないほどの、落ち着きぶりだった。
「私は、一週間前まで入院していました。体はまだ完全に完治したわけではありません。しかし、以前より元気になった気がします。まず、お腹がすかなくなったのです」
 彼はそう言うと、再び、お腹を撫でた。
 彼が撫でているのは、彼の傷口の部分であった。彼が、しきりにそうやっているのは、知っていた。歩くときも、彼は腹をさすり、腹を大事そうに支えていた。
 目は、以前よりギラギラしているように見える。そして、彼からは、つねに異臭がただよっていた。ウワサによると、傷口が、まだ完治できず、腐ってきているのではないか、ということだった。
 彼は、盲腸で入院したが、普通の人の倍以上入院していた。お見舞いに行っても、誰も彼には会えなかったし、看護婦からの話によると、脂肪があまりにあつく、傷口がなかなかふさがらない、とのことだった。彼の具合の悪さや、入院が長引いているのも、そのせいである、と。
 退院した今も彼の傷口は完治していない、まだパックリとそれは開いているのだ。なのに、彼の目はたくましく輝いていた。以前の彼とは確かに何かが変わっていたのだ。

続きます…。